
屋久杉の伐採は、豊臣秀吉が島津義久に命じたのが最初と言われている。
用途は大坂城、聚楽第など諸説あり。
屋久杉はかつて神として崇められていたため、島民により伐採されることはなかっ
た。しかし江戸時代に入り、屋久島出身で薩摩藩に仕えていた儒学者の泊如竹が
屋久島の島民の貧困を目にして屋久杉の伐採を島民に勧めたのをきっかけに、
1640年頃から本格的な伐採が始まった。島民は薩摩藩に年貢代わりに「平木」と呼ば
れる幅10cm程度の屋久杉の木材を納めた。
明治時代、1873年の地租改正で島の90%以上が国有地とされ、島民による勝手な
伐採が制限された。このとき生活の糧を奪われた島民が裁判を起こしている。
裁判は島民の敗訴に終るが、島を保護地区と伐採地区に分離され、営林署ができ
た。太平洋戦争後の高度成長期には大規模な伐採が続き、伐採地区の杉は殆ど無く
なってしまった。1970年以降、屋久杉の伐採は禁止されている。
江戸時代に伐採された屋久杉の用途は、主に平木(屋根の材料)用であった為、割れ易い木を
選んで加工し易い部分のみを利用し、利用されなかった枝条や幹・根株は、林内に放置されました。
屋久杉は樹脂を非常に多く含んでいるため、200〜300年たった現在でも腐ることなく残っています。
これらの残材を「土埋木」と称して林内から搬出し、伝統的産業用資材として有効活用を図ることを
目的としております。
現在は、林野庁計画に従い、制限区域外の過去に伐採され、残った根株部分か、風倒木に限り、集材しています。
