
1966年、屋久町役場(当時)の観光課長だった岩川貞次氏により発見され広く紹介される。発見当初は大岩杉と呼ばれていた。
「縄文杉」という名前の由来は、当時推定された樹齢が4,000年以上で縄文時代から生きていることから来たという説と、
奔放にうねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説がある。現在は保護のため木の周りには立ち入ることはできない。
周囲の樹木の年輪測定、幹周の大きさなどから当初、樹齢7,000年以上と
推定され話題になった。
古木の周囲を3本程度の若い木が融合して包み込んでいる合体木である
可能性が浮上したが、その後の調査で縄文杉は合体木ではなく一つの木で
あることが証明されている。
また約7,300年前に鬼界カルデラから広がった幸屋火砕流によって、屋久島を
含む九州南部諸島の大型植物は全滅したと考えられており、縄文杉の樹齢は
古くとも4,000年以上はさかのぼらないとするのが定説になっている。

屋久島の中でも一、二を争う樹齢を誇っている老スギである。
伝承では3000年と伝えられ、樹齢がはっきりとしない縄文杉よりも、
こちらの方が古いのではないかとの声も聞く。
屋久島を代表する巨樹、ウイルソン株、大王杉、縄文杉らと比較しても、
決して引けはとらない大きさである。幹の先端は雷にでも打たれたので
あろうか、白骨化が進行しつつあるようだ。しかし、木材化がかえって
この木を神聖な雰囲気にしている。
車で根元まで行くことができ、最も手軽に訪問できる木である。
